2013-07-29

「善知鳥」ダイジェスト❖能❖日本の伝統芸能【日本通tv】 - YouTube

  「善知鳥」ダイジェスト❖能❖日本の伝統芸能【日本通tv】 - YouTube:

ここでは、日本の伝統芸能「能」の「善知鳥」ダイジェスト映像をご覧いただきます。【撮影協力:代々木能舞台】http://www.yoyoginoubutai.com/
代々木能舞台は国の有形文化財であり、東京唯一の野外舞台です。

諸国一見の僧は陸奥国外の浜へ赴く途中、越中立山禅定を志す。
立山地獄めぐりを済ませ下山の道すがら、僧は一人の老人に呼び止められた。

老人は、自分は去年亡くなった猟師の亡霊であると名乗り、
妻子を訪ねて自分の後生を弔ってほしいと僧に頼む。

夫の霊からの依頼という証を求める僧に
亡霊は自らの麻衣の片袖を引きちぎって手渡し、姿を消した。

僧と妻子が猟師の霊を弔っていると
あさましく変わり果てた猟師の霊が現れた。
生前に殺生を生業とした報いで地獄の責めに
苦しめられる様を見せ、助けを乞い、消えていくのであった。

終末まで救済のない作品と考えられるが
旅僧と亡霊の背景には立山信仰(神仏一体の信仰)や
地獄の亡者と地蔵信仰に託した救済の願いが込められている

特殊なカケリによる演技、各詞章の詩情など、
見どころや聴きどころが多い作品である。

シテ:浅見 慈一
ツレ:武田 友志
武田 章志
ワキ:野口 能弘
アイ:石田 幸雄

【代々木能舞台】http://www.yoyoginoubutai.com/

「西行桜」ダイジェスト❖能❖日本の伝統芸能【日本通tv】 - YouTube

「西行桜」ダイジェスト❖能❖日本の伝統芸能【日本通tv】 - YouTube: ここでは、日本の伝統芸能「能」の「西行桜」ダイジェスト映像をご覧いただきます。
【­撮影協力:代々木能舞台】http://www.yoyoginoubutai.com/
代々木能舞台は国の有形文化財であり、東京唯一の野外舞台です。 

とある春。閑居の静けさを破られたくない西行は、花見を禁じていた。
しかし、西行の庵室に咲く桜は都の噂となり、 花見を所望する人々が庵を訪ねてくる。
西行は桜を愛でる人々の志に免じて庭に招き入れた。

 しかし、花見に人々の集い来ることこそ桜の咎なのだ...と
苛立ち気味に西行はひとり嘆くのであった。

 月夜となり、舞台は夢の世界へ 

夢の中で白髪の老人が現れ「桜の咎とは何か」と咎める
そして、「世を憂しと見るのは人の都合であり、 草木である桜に浮世の咎はない」と述べる

老人は問われるままに桜の精である事を明かし
桜が咲き誇りまた散るまでのあり様を舞を交えて語る

花の命を惜春に言い換えて
夜明けとともに跡なく消えてゆくのであった 

能「西行桜」は西行が桜に寄せた
「夢中落花」の心を作品骨子に反映させ、
西行と桜を主題として描く

「松風」と同様、一場能形式の夢幻能に導いている。

シテ:浅井 文義
ワキ:殿田 謙吉
アイ:高澤 祐介

 【代々木能舞台】http://www.yoyoginoubutai.com/

神田川コース✈東京観光【日本通tv】 - YouTube

神田川コース✈東京観光【日本通tv】 - YouTube:
この舟めぐりでは、首都高速道路が大半を覆う日本橋川を抜け、神田川を通り、
花火大会で有名な隅田川を下って、元の日本橋川へ戻るコースをご紹介します。
この動画は「江戸東京再発見コンソーシアム」様のご協力で撮影させていただいております。

日本橋の最初の架橋(かきょう)は、
徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603)と伝えられ、
翌年、東海道をはじめとする五街道の起点に制定されました。

重要な日本橋川の水路と交差する交通の要所として、
江戸経済の中心でした。
橋詰(はしずめ)には高札場(こうさつば)があり、
魚河岸があったことでも有名です。

日本橋川、神田川は全て治水の為に河口の付け替えや
新たに流路がつくられた、人工の川・運河となります。
それに対して隅田川は江戸時代から有る自然の流れを持つ河川となります。

上空を複雑に絡み合うのは、首都高速道路です。
首都高速道路は、昭和39年(1964)の
東京オリンピックに合わせて作られました。
日本橋川のほとんどを覆っています。

撮影・監修協力 江戸東京再発見コンソーシアム
http://www.edo-tokyo.info
03-3668-0700

2013-03-22

江戸木彫刻❖日本の伝統工芸【日本通tv】 - YouTube

江戸木彫刻❖日本の伝統工芸【日本通tv】 - YouTube 撮影協力:明治26年創業の岸本木彫刻の三代目、岸本忠雄氏
(号:後藤祐浩)木彫刻は、飛鳥時代(6世紀末-710年)から続く伝統工芸です。以来多くの仏像が彫られました。中世以降は社寺の建築彫刻が発達し、柱や欄間に彫刻装飾が施されました。
明治時代(1868-1912年)には、建築や家具も洋風化され装飾彫刻が施されました。

製造工程としては、
まずは、構想を固めて下絵を描きます。
次に、不要な部分を鋸や鑿で削りとります。
次に、鑿や彫刻刀で、大まかに削っていきます。
更に、鑿や彫刻刀で丁寧に削っていきます。

今ご覧いただいている工程は「中彫り」といって、鑿や彫刻刀で丁寧に彫っていく工程です。
ここから更に細かく削っていく「仕上げ彫り」をすると、完成です。

使用する道具は、鑿とその鑿を打つための木槌
そして、彫刻刀、鋸、鉋などです。
鑿と彫刻刀は特に種類が多く、百~数百本を使い分けるそうです。

この素晴らしい伝統工芸を是非後世に残したいものです。

日本木彫刻連盟 江戸木彫刻
03-3641-7796

2013-02-18

舟めぐり日本橋川コース✈東京観光【日本通tv】 - YouTube

舟めぐり日本橋川コース✈東京観光【日本通tv】 - YouTube:
この舟めぐりは、日本橋川を出て、隅田川を下り、亀島川(かめじま)を経由して、再び日本橋川に戻ってくるという、日本橋を心行くまで堪能できるコースです。
この動画は「江戸東京再発見コンソーシアム」様のご協力で撮影させていただいております。

撮影・監修協力 江戸東京再発見コンソーシアム
http://www.edo-tokyo.info
03-3668-0700

2013-01-12

松島✈日本三景【日本通tv】 - YouTube

松島✈日本三景【日本通tv】 - YouTube:

この映像では日本三景の一つである松島(宮城県)の風景をご覧いただきます。宮城県、-松島湾周辺にある大小さまざまな諸島を総称して松島と呼びます。

平安時代よりその美しさで人々を魅了してきました。
朱塗りの橋は「福浦橋」、福浦島へとつながる渡月橋です

渡月橋とは鎌倉時代の第90代の天皇、亀山上皇が
橋の上を移動していく月を眺め「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから
渡月橋と呼ばれています。

松島は月見の名所といわれ、伊達政宗が月見御殿を立てたり
松尾芭蕉は松島の月にあこがれて歌を詠んだり、と古くから数々の人物に愛されてきまし-た

こちらの映像でご覧頂いている橋は「出会い橋」と呼ばれています。
三つの橋があり、それぞれ「別れ橋」「出会い橋」「縁結び橋」と呼ばれています

松島の風景を船に乗ってカモメと一緒に眺めてみましょう